ものを買うということ

下書きで満足して、更新し忘れてた記事を

少し前に東京へ行く機会があってmothercoatのイベントへ行って来たときのお話
mothercoatとは私がとっても好きで、以前私のイベントにも出てもらったバンド
対バン、DJもナイスな組み合わせで、イベント自体すごく楽しかったのです
何より皆楽しそうで盛り上がってて素晴らしいイベントでした
今回のイベントは、mothercoatのTシャツリリースツアーのファイナルだったのですが
CDじゃなくてTシャツってのが彼ららしい

私はライブにはよく行くけど、あまりグッズを買わない
更にCDもさほど買わない
グッズは、そんなTシャツとかタオルとか持っててもって思って、よほど気に入ったデザインのものじゃないと買わない
CDは欲しいもの全部買っていたら大変なことになる、と取捨選択するのが面倒だから買えない
そんな中で、mothercoatのグッズは買う
Tシャツは3枚持っているし、よくわからないDVDまで持っている
もちろんCDも
デザインが好きとか、売り方が企画として面白いとか、いろいろあるけど
一番は、あの人たちにお金を払いたくなるのだ
メンバーで借りた一軒家で、練習し、レコーディングし、野菜をつくって暮らしている
CD制作からマネジメント、HP運営、全てを自分たちでやっているから、私がCDに払ったこの1000円で明日野菜の肥料を買うんだ、なんて考えて何だかお金を落としたくなる
もちろん素晴らしい音楽だというのが前提にあるのだけどね

生産者の顔写真を載せることで得られるのは安心感だけじゃない
これからのビジネスは小さく小さく、が正解かも



その日のライブ映像
九州の皆さまはそろそろ・・・期待していいですよ
ふふふ

今日も文化は過ぎ去っていく

E-mailの価値が著しく低下している

もはや使わない

新しく知り合った人ともアドレス交換なんて、ほとんどしなくなった

フルネームを教えて、facebookで友達申請
交換しても、せいぜい番号で、LINEがあるしって

気になるあの子にドキドキしながらアドレスを聞いたり
この内容はちょっと馴れ馴れしいかとか、絵文字はいれるべきかどうかとか、何度も文面を打ち直したり
私たち世代の青春

またひとつ文化が過ぎて行く

変化のスピードが早いもんだから、失われるっていうより過ぎて行くって表現の方がしっくりくる

決して悪いことではないと思う

新陳代謝があるからこそ面白い

「懐かしい」という概念が生まれる

さて次は…

若い子たちには「既読」表示というやっかいな機能に打ち勝って、青春を謳歌して欲しいものですね笑

因果関係

書きたいトピックのメモばかり増えて、なかなかブログに書き起せない日々が続いております。

もう少しでHPに移行できると思うので少々お待ち下さい。

今、「ヤバい経済学」という本を読んでいます。

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する

経済学者がデータから社会問題を読み解いていくって本で、これがすごく面白い

ものごとの因果関係ってのを考えさせられる

本が多い家庭の子どもは成績がいい。
データからこう読み取れました、と言われたら鵜呑みにしてしまいそうだけれど

親の教育水準の高い家庭の子どもが成績がよくて、そういう家庭には一般的に、そうでない家庭に比べて本が多い
っていう方が正しい。

これって結構意味が違ってくる。
因果関係の順序とでも言うのでしょうか。
これを意識していると、メディア情報の受け取り方も変わるのでは?
素直な視聴者、読者じゃだめですね。


話は変わりますが、昨日は嘘つきバービーのライブに行って来ました。
久しぶりに福岡来てくれる、と嬉々としてチケットを取った後に解散が発表されて・・・
このバンドを観るのもこれで最後

本当にすばらしくて、すばらしくて・・・



東京公演のチケット買っちゃいました。笑

演劇は報告である

福岡演劇フェスティバル
今年は「下鴨車窓」という劇団の公演を見に行きました
明日も公演があるので内容には触れないでおきます

公演後のアフタートークで脚本・演出を担当された方が
「演劇は、報告だ」と言っていたのが、とても印象的でした
どの登場人物に何を報告させるか
とても作家的な視点です

「あいつが、やってくる!」
登場人物がそんな報告を受けると、観客は
あぁ、あいつが来るんだと、受け入れるしかない
でも、裏を返すと、報告は事実確認でしかない
それから先の受け取り方は観客に委ねられているし、断片的な報告をどうつなぎ合わせてどう読み解くかも自由
あいつって誰?あそこから来るのかな?あいてって、もしかして・・・
報告の仕方で観客の思い描くストーリーは随分変わるはず
作品を組み立てるってそういうことかな
何だかとても納得しました

そして改めて”場”って大切だなーと感じました
来週はkonyaである、3時間30分一人で演じるという気になる公演へ行こうと思っています

正しさと美しさ

最近、古典の臨書を練習するようになりました
美しく整った行書を書くのはとても勉強になります

しかしやっぱり変体仮名が一番書いていて楽しい
かな文字には「補空」というものがあります
これは、一文字の中の空間に文字のバランスを考えて点をうつことです
書道において、このバランスというものが非常に重視されるのです

通常の文字に慣れている人は違和感をおぼえるかもしれないけれど、何の文字かは認識できるはずです
正規の文字ではないけれど、間違ってもいない
書道の世界ではよくある話
美しい流れができるように書き順を変えたり、線を省略したり
規範とはあくまでガイドライン
伝えるという文字の最低限の要素を守るためのもの
デザインもそうかな
伝えるという目的に、美しさが加わることで「伝える」という行為がもっと豊かになる
だからこそ、目的はぶれずに持っておく必要がある
ラインを見極めたうえで、もっと自由に

もっと美しく

追求するべきは、心地よさ

ほとんどメモです

「使いやすさ」と「心地よさ」は違うということ

今日、感性工学会会長さんの講義を受ける機会があって、その中で非常に納得

ユーザーエクスペリエンス、デザインを考える上でとっても重要だと思うのです

人間って、単純に使いやすいもの、便利なものを求めているわけじゃない
機械でも完璧なものより少しくらい人間臭いものを好んだり
乗ったときの高揚感を求めてうるさい車を買ったり

「心地よさ」って要はフィット感
そのときのその人の欲求にフィットするかどうか
何を求めているのかを見極める必要がある
もちろん使いやすさもだけど、連想されるイメージが自分に合うか、ワクワク感を満たしてくれるか、なんかまで含んだ広義な視点

この視点はぜひともエンジニアリングよりの人に持っていて欲しいのです

不合理な合理

授業中の一コマ

先生が一部、もしくは数部しかない本や資料を生徒にまわす

先生としては参考程度にくらいの意図

ここで生徒が考えるのは
・授業は平行して進んでいるので、資料に意識を集中させるわけにもいかない
・皆の手に渡らなければならないので、独占できない

だから、自分の手元に置いておくのは短時間と意識する

さぁ、その限られた時間で何を見るのか

私はものにもよるが、今日は市販されている本だったのでまず表紙
タイトル、キャッチコピー、作者
次に目次
中の編集形態(文字の大きさやレイアウト)を確認したらすぐ回す

私なりに一番合理的な時間の使い方だと思っていたが、他の生徒を観察してみると多種多様
表紙・背表紙を見て回す人
ぱっと開いたページだけをしばらく読んで回す人
一番後ろのページを確認して回す人

それぞれの人の意図は推測できる
何が違うって、欲っしている情報かな(意識的、無意識的に関わらず)
私の合理性は、私の欲しい情報の種類という前提に成り立ってたのね


これからは、このくらいシンプルな記事もばんばんあげていきます
継続は力なり
スピードも大事